昭和49年02月23日 月次祭



 信心をさせて頂いて、有り難くならせてもらうというか、力を頂くというか。信心によっておかげを受けると言う事が生き甲斐。所謂信心が生き甲斐だという信心を、身に付けさせて頂きませんと本当の信心は育ちません。唯おかげを受けるから信心をしておると、という様な信心では、信心をどこまでも頂くと言う事。しかもそれが生き甲斐いである。いうならこの世に生を受けて、この様に人間として生まれて来た者としての、神様の願いというのは、氏子の真の助かり。
 氏子信心しておかげを受けてくれと仰る、そういうおかげを受けると言う事なのです。それにはどうでも、それは様々な生き甲斐を持っておる人がありましょう。私は生き甲斐を子供にかけておりますと。私は生き甲斐を自分の仕事にかけております。それも良いでしょう。けれどもそれがね、果して生き甲斐をといわれるくらいな掛ける値打ちのある物かどうか。いうならば、値打ちのある物かどうかと言う事を、一つ本気で検討させて貰い、吟味させて貰いね。
 そしていよいよギリギリ信心。それが私共の生き甲斐と言う事になって来なければ、やっぱ生き生きとした信心も出けないと思うんです。私は今日11時から久留米の東町久留米教会の初代教会長、田中先生の3年の式年祭におかげを頂きました。あちらへ参りまして、ちょっと時間が御座いました。お礼をしていこん渡しておりましたら、もう久しぶりにお目にかかる先生方がいくらも御参拝になっておられまして。
 その方達がすぐ私の横で、先生方2~3人でお話になっておられる話を聞かせて頂きました。もうそれは実に哀れなお話でした。もうまだ70よりちょっと前の先生なんです。お家が養子をしておられるそうです。身なりもまあ言うならあんまり恰好の良い恰好じゃありません。もう第一目が薄うなって、そのよく見えない。耳が遠うなってる、体もこうヨロヨロしてから、そのよぼよぼしておられる。久留米の親教会である、久留米教会の記念祭である。その祈念祭の事からの話でした。
 もういよいよ是は記念祭も近付よるが、何も御用も出来ずに。本当にまちった私自分が若かなら、五体ででも、それこそ打ち込んで御用をさせて頂くけれども。御用をさせてもらや、おかげ頂く事は解るけれども、目が薄うなり耳が遠うなり、そして頭はボンヤリしてお話もチグハグになったり。体はヨロヨロで出来ん。もう若い者を見とると、歯痒うして歯痒うして、もう神様にその事ばっかりお願いをしておる。子供達が言う事を聞かん、養子が言う事を聞かん。
 まああそこへ十分あまりの間でしたけれど、もう実に哀れなお話でした。成程段々私共は年を拾うて行くに従って、目も薄くなるでしょう、耳も遠くなるかも知れません。体も矢張り自由が若い者の時の様な訳には参りますまい。それでもですね、目は例え見えなくなりましたけれども、心の眼が見える様になり、心の耳が聞こえる様になり。神様の心が読める様になり。本当に神愛の中に生かされて、生きておる事の喜びをです、本当に金光様の御信心っちゃあ、有り難くならせて頂く稽古ばいと。
 若い者にね、後から付いて来る信心を頂く若い人達にです。私はこうやって目も薄うなった、耳も聞こえん様になったけれども。毎日が有り難い、有り難い勿体ないの毎日を送らせて頂いておるといえれるような、年の拾い方をしなければいけないなと。私は今日その話を聞いて、お祭りが始りましたけれども。はあ今日はもう田中先生の御霊様のおかげで、今日はこう言う良いお話を聞かせて頂いた。
 是は私共も、ただ信心しよるから拝みよるから、おかげを頂いておるから、ならこの事の先生なんかの場合、何十年の経歴を持った教会ですから、おかげも随分頂いて来られたでしょう。本当に奇跡だ奇跡だというおかげも現してお見られたでしょう。けれども齢70になるかならないで、目は薄うなり耳は聞こえなくなる、五体は不自由になって来るという時にです。もうそれこそ横で聞きよって哀れな話になる様な事であっては、愈々相ならんなと言う事で御座います。
 信心がただおかげを受けると。私達結局その先生の信心の焦点が狂うておった、間違うておった。ただ立派な教会をいよいよ立派な教会にして行きたいとか。沢山な信者を容易したいとかね、言うならそういうおかげだけの信心であったと思うんですね、問題は自分自身が助かる。自分自身が助かるということは、どういう中にあっても有り難いと言えれる様な信心なんです。
 お互い是は改めてです。私共がそういう信心に取り組ませて頂いておるかどうかということをです、一つ再検討させて頂いて、信心の焦点をいわゆる生き甲斐としての信心ね。そこからしかあの世にも持って行け、この世にも残しておけるという様な信心は頂けないと私は思う。金光様の先生の事ですから、それこそ朝に晩にどれ程拝みなさったか、御祈念をなさったか、人にも又お話をして来なさったか解らないのですけれどもです。齢七十になって、例えば今日私が横で聞かせて頂いとる様な。
 もうそれはその声の調子が哀れな。本当なんです実感なんですから。皆さん折角信心をさせて頂くのですからね、もうとにかく私は本気でね、信心のモナコを開かせて貰わなければいけません。信心を頂くと言う事が有り難いのだ。その信心を頂く事によって、おかげが付いて来るというおかげでなからなければいけない。今朝から変わった方達のお参りが御座いました。
 以前から話は聞いてはおりましたけれども、たまたま夕べ此処の話を聞かれて。そのまあその町では大変有名な、また日本中でも大変有名な方らしいんです。鹿児島の方らしい。お金はどれだけあるか分からない。もうとにかく各都市、都市に色んなキャバレーとか、色んなそのお店を沢山持っておられる。それがもう本当にあの話に聞いておったですけれども、やっぱそれだけの事をする、何とはなしに、矢張りその力を感じますですね。もういうならばみすぼらしいという恰好じゃないけれども。
 まあ粗末な恰好をしておられる。東京に行かれるでも、大阪へ行かれるでも、ほんな下駄履きで行かれる。その下駄履きというても、もうそれこそゴム緒の下駄といった様な感じでどこにでも行かれるそうです。ここにはもう何百万とかで、何時もこう持っておられる。という話を聞いておりましたが、今日お目に掛ったのは初めてでした。色々もう夕べはそのたまたま合楽の話を聞かせて頂いてです。
 一偏そりゃいっちょ私どんも合楽にそりゃ参ってみなきゃいけんなといいよったらです。最後に別れる時にそげなこついわずに、なら明日の朝参ろうかと言う事になって、実は今朝から参って来ましたというのです。丁度朝の御祈念が終わって一通りお届けを終わった所にお参りをして見えました。一人の方も大変有名な方らしい。その方も中々お話を聞くと、幡随院長兵衛の様なお方です。自分でも言われる。私はもうその強いを挫いて、弱い者を何十年間の間助けて来たと。
 それで人が言いますと、貴方はもうとにかく畳みの上じゃ死なれまいと、人が言いますという様な意味の事を言ってる。でこの頃は段々人間も段々、円熟して来てまあ前の様にまあ腹は立つ。モヤモヤはするけども、それをジーッと辛抱する力が出けたと。まあ私の話よりもお二人の話を聞くの方が長いぐらいに、お話を聞かせて貰い貰った。そしてもう一偏、一己にいっちょ今度は飲みながら私の話を聞いて頂きたい。いや私じゃない。向こうの方の話を聞い頂きたい。まあ色々聞かせて頂きました。
 その生き甲斐の焦点が違う。だんだん聞かせて頂いておる内に、お母さんが八十二歳になられて、食道ガンで今久留米の病院に入院しておられるということであった。私はもう若い時から非常に親孝行だったと。で、そのお母さんの事をお願いなさったらどうですかと、私が。というとる所に電話が掛かって来た。富永あの小倉の富永先生から。只今から唐津に出張を致します。手術がありますので行きますから、道中の事またあちらへ参りましてからの事のお届けがあった。
 して電話を聞き終わったら、田主丸の小野先生がここ参って来た。丁度私が医者にね、その病人の話を聞かせてもろうて。是ばっかりは、幾ら親孝行の私でもどうにもしてやる事が出来ない。もうお粥のその湯さえ喉を通らない大変苦しむ。そこで貴方がお願いをなさる気になればね、それは良くなるか良くならんかはまだ分からんに致しましてもね、その痛み苦しみが止まる位な事はおかげ頂きますよ。ところが私にはそういう信念がないち、こう言われる。
 信心というのは、自分が神様を信ずるからおかげになるのだと言う様な事を知ってある。それはそうですよ。けれども此処に参って来る多くの信者がです。皆そういう信念を持って参って来ん者はおりません。始の間は半信半疑。けれども金光大神のお取次ぎの徳というか。言うならばここで言うなら大坪総一郎の、言うなら保証人、私が保証人ね、貴方がならお金を借りるという時にね、貴方には銀行が貸してくれんけれども、大坪総一郎が保証人になるならば、なら貸してやっても良いと云う様に。
 貴方に信念がなくてもね、お取次ぎの力によって、徳によって助かられるね、そこで皆さんが、初めの間は皆そうなんです。勿論信心とは神様を信ずる稽古なのですけれども。初めから神様を信じて掛かって来る人はそんなにありません。はあそういうことが出来ますなら、どうぞよろしゅうお願いします。名前は何々と申します、歳は幾つで御座いますというようなお届けをして帰られた。そして今電話の掛かって参りましたのも、小倉の耳鼻科では、もう九州権威といわれる富永やすえ先生の事ですよと。
 今参って来ましたのも、田主丸から毎日参って来る、小野産婦人科の院長ですよ。はあお医者さんも、まっお参りになるのですかという様な顔をして、まあ色々とお話を聞かせて頂いた後に、そこに最後にお母さんの食道ガンのお話が出て。そしてそれをまあ今日は私と色々詳しく、自分の話も聞いてもらおう。又は私の話もまあ聞こうという訳で、まあ見えたのですけれども。そういう引っ掛かりが出けて、まあお取次ぎさせて頂いた様な事で御座いましたけれどもです。
 如何にそれは道徳的な素晴らしい生き方をしたからというても。それではおかげは受けられないね、是は信心の世界でなからなければ出けない事。信心はとにかく先日も私は申しました事ですがというて話した事でしたけど。お互いが様々な夢を持っておるというけれども、信心させて頂くと、先ずその夢を捨てる。そして自分自身の信心内容というものを改めてね、そこから夢にも思わなかった様なおかげの展開こそ、お道信心させて貰わなければ頂けない、いわば体験であり味わいなのであります。
 と言うて私は昨日の朝頂いた御理解を聞いて貰った。伊藤雄之助という人がおります。それこそ目玉はこう三角のごたる恰好をして、顔は馬ん面んごと長い。鼻元からこの口元は何とはなしに嫌らしい、下品な感じの役者である。是がもし役者でなかったら、あんまり人から相手にされない様なお面相をしておる。そうでしょう所がですね、その演技力たるや抜群である素晴らしい。そういう例えばその自分の人相というか、顔様子をです。いうならば売り物にしての演技力というものは素晴らしい。
 そこで彼でなからなければならんという、抜擢されての主演映画、またはお芝居に映画に活躍しておる。私は此のお知らせを頂いた時に、私自身伊藤雄之助である事を気付かせて頂いた。信心とは自分自身が分かる事ですよとね、自分自身を本当に、顕微鏡で心の中を眺める様な気持ちで見ますとです、もうそれこそ意地の悪そうな、それこそ品の悪いね、ガラの良くない、何とはなしに浅ましい自分であるということに気付かせて貰う。それこそ教祖様のお言葉を借りると、屑の子の自覚が出けて来る。
 私こそ屑の子であるという自覚が出けて来るね、一般からは、生け仏様の様に言われなさった、親鸞様でもです、だんだん信心がお進みになったら、日本一の大悪人だと、御自分を言うておられる位なんだ。そんなに悪人を人殺しをなさったりした事も無かろうけれどもです。ご自身が自分の心の中に、それこそ顕微鏡を持って眺める様に自分を眺められた時に、浅ましい自分である事に気付かれた。
 とてもとても自分は極楽などに行けれる自分ではない、それこそ自分は地獄の真ん中にしか落ちてはいけない自分だと悟られた。そういうふうな悟りをお開きになられれば、なられる程人からは愈々生け仏様の様に扱われなさったと言う事であるね、教祖様でも同じ事。何も分からん無学の百姓だとね、生神様生神様と皆んなは言われるけれども、何の私が生神であろうぞいと。それこそ泥つかみの百姓じゃと仰った何も解らん。
 私共でもそれをやっぱ思う。一商人(あきんど)から今日のこのおかげを頂いておりますけれども、その商人でしかない才能しかない私。しかもそれを、信心が段々解れば解る程、伊藤雄之助を自分の心の中に頂いた様な自分である事に気付かせて頂いてです。それでも、神様が、この様なおかげを下さるというところに、誰よりも深い広い心が、自分の心の使い方の稽古をです、様々な問題を通して、自分の心の使い方の、稽古をさせて貰う。どんな場合であってもどんな事でも。
 どの時点でも有り難いとお礼の言えれる、お詫びの出来れる素直な心という物を、愈々極めて行こうとするね。ですからこれは大坪総一郎でなからなきゃ出けんという様な御用をです、やっぱ神様は下さる。伊藤雄之助が適役だという様な役をこなして行く様に。私共の心の中にもですね、この氏子でなからなければ出けないと言う様な、私はおかげを頂くということが神様の信用であるというふうに思うのですね。
 今朝からの御理解を頂きましてもね、この方の事を生神、生神というけれどもね、皆もこの様なおかげが受けられる。この方がおかげの受け始めであってと仰せられる様に。私共は、いわゆる生神を目指すということは、今日最初に申しましたね、私は信心が生き甲斐だということになって来なければ、生神を目指すということではないと思う。そこでです、私はね段々歳と取って行って、目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、体はヨボヨボになって来るけれども。
 それとは反対に心の力というものは、愈々付いて来る。心の光と云う物は愈々大きくなって来る。心は愈々深く広く豊かになって来るね、そういうおかげを自分の心の中に感じさせて頂く信心を、私は生き甲斐にしなければいけない。お参りすりゃやっぱおかげ頂くと言う位な事が、私は信心であってはね。愈々何十年たって、七十なら七十になって見て、それこそ聞くも哀れな悔やみ話をしなければならない様になっては詰らないでしょう。もうさあもう今から力を受けようと言うても駄目です。
 もう只若いモンのしておる事が歯痒うして、歯痒うして堪らん。ほんに五体が強いならばと思うけども、その時にはもう既に五体はを聞かない。もう二十数年前椛目の時代です。ある言わば難儀な問題をお願いさせて貰っとった。そしたら御心眼に、こういう大きなまな板の上に、それこそこんな大きな真鯉が。それを私がこうやって押さえて、ところがこの鯉があんまり大きくて、力が強いもんですから、私よう押さえ切らんで居るお知らせを頂いた。それで私が今願って居る事がです。
 さあ力なしにはおかげにならんと。神を例えばこういう大きな徳を下さろうとしておるけれども、その徳を下さろうとしておるけれども、その徳も、もちっと力を受けなければです、押さえておる事も出けない。さっ本気で力を受けよという様な御理解を頂いた事がある。先月も日田の綾部さんが、今毎朝参って見えます。先月から皆さんも御承知でしょうか、元日田の作り酒屋で、麻生さんという方が、辛抱にに参って来よりなさった。まあその方が湯布院で入院をしておられる。
 麻生酒造が倒産した。たった五億円のお金で倒産した。毎日参って来られるから、もういよいよギリギリ行かんというから、麻生さん一年間御本部へ行きなさいて私が。まあいうなら逃げなさいち言うた。今度麻生さんあの、綾部さんあちらを入れられたら、もうその事を一番口言われた。本当に合楽の親先生のいう通りしときゃ、もうこげな苦労をせんでも良かおったじゃったけれども、一年後には沢山の山林を持っておられたのが20億になった。たった一年の間にね。
 本当に親先生の言う通りに、綾部さんしとかにゃいかんですよと。私も本当にもう朝晩、けれどもおかげを頂いて、合楽で頂いておる御理解をずっと溜めとった。だからそれをもう、繰り返し繰り返し、何十篇となしに、おかげの泉の事でしょう。読み返させて頂いて、合楽で言われる話は素晴らしい話ということが、読めば読む程分かって来る。おかげで、心だけはこんなに不自由しとるけれども、心だけは嘘じゃない、本当に豊かに暮らしておるというておられる。
 片一方の手だけでも自由になる様になったら、お邪魔になっても合楽に参らせて頂いて、西岡先生の代わりに、あの御理解の収録を私がおかげ頂きたい。生涯かけての仕事にしたいと言われたね、お夢の中にはお夢を頂くには、もう必ず合楽が出て来る。一週間ばかりもう意識不明の時があった。そん時に喉が乾いて、喉が乾いて仕方がないから、這う様にして、ここの合楽のあのお手洗いの所へ遭うて行って。
 その柄杓で水を飲んだ時に後ろから、肩を叩いて、麻生さん是でおかげ頂くよというて、肩を叩かれたのが親先生じゃった。それからおかげでこげん、おかげ頂いてから。まあ自由だけはどうにか出ける様になった。それでもう此の体でもうとにかく人がちっとでん喜ぶごと、喜ぶごとしたいと思うてです。もうとにかく、ローカをずっと、あの散りを拾うて周ったり、下駄を揃えて周ったり、病院の広い所を。他の患者達の何か、もう何かその人の喜ぶ様な事がしとうて、しとうて堪らない。
 もし是が健全になりましたら、私は今度こそ御本部へ行きたいと言われたという話です。そしてからとにかくあの綾部さん、合楽でいわれる和賀心時代を創るということは、もう大変な事ですよち。先日から私お夢の中で頂いてね、和賀心時代を創る為に、田中角栄をお導きせろというお知らせを頂いた。今の総理大神ですね、だから私はこの頃からいうとる、この頃は伊万里の市長署を見せて頂いて。
 是は例えば中心である竹内先生がです、ああいうなら伊万里の中心としておかげを頂いたら、ああいう例えば、なら市長舎の隅々も、までも見せて頂いたがです。それこそ和賀心時代を創るという末梢神経がです、もうその庁舎いっぱいにビリビリ響いておる様な感じを受けて来た。是は和賀心時代を創るということも、是は夢ではないぞと。成程ね、日本の総理大臣がです。
 いわゆる和賀心時代を創るという運動に参加してくれる様になったらです、日本が和賀心時代に、和賀心の言うならお国柄としていよいよ繁昌のおかげを頂くであろう、是が又世界に広がって行く事であろう。まあそういう話を聞かせて頂いておったからでしょうか。その晩はどうしてん眠られん。それこそ和賀心時代を創って周ろうごたる、その衝動なんですねいわゆる。そして心の中で思うた。一つ南米から北米、カナダ、ハワイ。そこをあちらの方へ一偏私は一事移住したい。
 もうそん時には重雄さんも来て貰わんでん良か。誰ん来て貰わんでええ。もう私が一人で行く。恐らくその頃には水も飲まんで済む程しにおかげを受けるだろう、この勢いで行ったら。勿論その国々に行ったら、ただあの通訳役は一つ雇わにゃいかん。ほらあ白人相手にお説教せにゃならんから、私のいうた事を。してこちらのお初穂はどんどん後は送ってもらう。はっはっはっはっ。いや本当にそれも本気で考えたんです。
 考え出したらね、もうあちらでお説教をしておる、そのお説教が次から次と頭の中よく浮かんで来るんです。是は愈々和賀心時代をね、いわゆる全世界に広めて、先ず私が行って、その地盤だけは創って行って。そして此処を次から次出来るお弟子さん達がそこへ行けば、まっ良いという様な事を本気で考えた。朝の御祈念の時に、その事を一番口に私は思わせて頂いた。そしたら神様からね、もうそれこそ、もうそげん早んなさんなち言わん、こう宥める様にしてね神様が。
 あの蒲の穂を頂いた。蒲の穂をね、私が今持っておるのが、此の位ばっかしか持たん。これをね沢山用意して行けと頂いた。いかに私がんならその、世界中を漫遊して回ってです。そしてお道の信心の尊さを説いてもです。説いただけじゃいかん、その場でもうちんばが立たにゃいかん。目くらが目が開かにゃいかん。今難儀な人がです、そこで助からなければ、それは空論になる。そういう力を持って行かなければいけない。
 為には沢山の蒲の穂を用意して行けよというお知らせを頂いたね、因幡の白兎じゃないけれども、白兎がね、前の神、お兄様の神様達のいわれる通りしてね、二人と海の水で体を洗うたらいよいよ体が苦しゅうなった。その後に通り掛かられた大国主の尊に教えられて。蒲の穂を敷いて休め、まし水で体を洗えと教えて頂いた。そしてその蒲の穂に包って、助かったという、因幡の白兎の、私の事を大黒様と申します。
 だから結局この大黒様がです、もっともっと沢山の蒲の穂を用意しなければいけないという事を頂いたんです。本当にだからそうだなと、こう思うね、私が二十数年前にです、神様が下さろうとするけども、力がなからにゃ押さえる事すら出けんのだ。その力がです、私は、ただおかげを頂くからぐらいな信心で何十年続いておっても、それは金光様の先生ですから、朝から晩まで拝みは御座ろう、人も助かりもしよろうけれどもです、これ自身が助かって行かずして、力を受けずしてです。
 そして愈々自分が七十になった時に、それこそ聞くも哀れな話を模様す様なお話しか出けんような心の状態で、心が育たないとするならば、こんな哀れな話はないですね、どういう中にあってもね。それをおかげと頂けれる信心。それは力なしには、話を聞いただけでは出けんです。その力を頂く為に、お互いが信心の稽古を本気でさせて頂かなければいけない。私だけじゃない皆さんもです。矢張りその蒲の穂を沢山用意しなければならない、力を愈々より頂いて行かなければいけない。
 それにはですね、信心が生き甲斐だという信心にならなければ。この世に性を受けたのは、愈々この本心の玉を磨きに来たのだ。魂を清まりに来たのだという信心を、愈々身に付けさせて頂いて力を頂いて。よし目くらになっても目くらつんぼになっても。体五体は不自由であっても有り難い事だなあと、目をつぶれば有り難涙がこぼれる様な、私は有り難さを育って行く信心を目指さなければいけないと思うので御座います。
   どうぞ。